憧れの天山北路 4

           
            
                             白い泡の川なのですが、写りが悪くて・・・
  
                  「憧れの天山北路」
  
             4  イシク・クルへの道すがら
 
 
 
 五日目、ビシケクを離れ、イシク・クルの湖を目指す。
 
 朝九時、ホテルの玄関先に、チャーターした車が迎えに来た。キルギス人は時間厳守のよ
 
うだ。通訳は前と同じ小柄なアジア系の人、運転手は前回の人の兄でアジア系に少し西洋人
 
の血が混じったような、色の白い大きながっちりした人だ。モンゴルのジンギスカンも本で見る
 
限りでは色白でぷくぷくとした感じだったが、その系統なのかも知れない。よく似ている。
 
二人は大学の同級生で、レスリング部で一緒だったそうだ。
 
 通訳さんの日本語は概ね通じるのだが、詳しいこと、込み入ったことは、あまり理解できて
 
いるようではなかった。運転手は現役の警官で、アルバイトに運転手をしているのかもしれな
 
いし、警官から運転手に転職したのかも知れないという程度に通じた。警官か、あるいは
 
元警官だから、ボディーガードにもなると言って笑った。運転歴は二年そこそこだと言う。
 
私でも二十ほど運転している。ちょっと不安だ。
 
 ここキルギスタンでは、車はまだまだ珍しく、家よりも高価だ。免許を持つ人も希少価値が
 
ある。新車もまれに走っているが、大半は中古車だ。国産車がなく、すべて輸入のようだ。
 
日本で中古車を買えば中国で陸揚げ、ひたすら西へ進み国境を越え、キルギスタンまで持
 
るという。中国の西隣がキルギスタンだ。内陸の国だから他のルートでも、ヨーロッパ
 
ら陸路を来るか、いずれにしろ海岸から先は陸路を延々運ぶしかない。
 
 日本で十万円くらいの中古車があれば陸路は自分で運転して、旅費と合わせて二十万円
 
くらい。それなら欲しいと通訳さんは言う。二十万円は通訳さんの家の値段だ。四輪駆動車が
 
希望らしいが、十万円では中古も買えないとは言えなかった。
 
                          
 
 目指す湖、イシク・クルは、ビシケクから東に百六十キロ、道程四百キロに位置する。
 
クルとは湖の意味だ。世界第二の標高、世界第二の透明度、琵琶湖の九倍の面積、
 
東西に百八十キロメートルもある巨大な湖だ。万年雪を頂く天山山脈が南北両岸に聳え、
 
“中央アジアの真珠”と呼ばれている。ソ連時代は外国人立ち入り禁止で、作家の井上靖も
 
訪れることができなかった幻の湖なのだ。
 
 ビシケクからは途中で山脈を横断する。それほど高い峠越えはない。概ね谷沿いに行く。
 
ビシケクが標高約八百メートル、イシク・クルが標高千六百メートルだから、その差は登ること
 
になる。氷河が溶けた深い純白の泡の流れに沿って、赤茶けた土と薄茶の岩の断層が切り
 
立つ。幾重にも重なるその縞模様が紺碧の空に勇壮に映え、その他は、まるで空っぽの大空
 
は深い青さだけをどこまでも広げていた。
 
 途中、道路沿いの食堂で昼食、トイレを済ませた。蠅や蚊がブンブン飛び交うボットン便所。
 
田舎育ちだが長らく都会暮らしの私達には、かなりの抵抗がある。臭いは息を詰めて、なんと
 
か我慢できるが、飛び交う蠅や蚊には、躊躇させられた。だが、トイレはここで行っておかな
 
と、次はどこにあるか分からない。五、六才の可愛いい女の子が平気な顔だ。入るしかない。
 
あとで分かるのだが、ここはまだ綺麗なほうだった。次のトイレでは、どうしても駄目で、外の
 
草むらで用を足した。大きな空の下、天山山脈を眼前に望む草原の真っ直中での経験は悪く
 
はない。                 
                                                                   
 
 山脈を横切ると、現実離れした眺めが待っていた。まるでカレンダーの写真でも見ているよ
 
うだ。六月というベストシーズン。お花畑のように大地に黄色と紫色の花が咲き誇り、沿道に
 
は背の高い青紫色の花が延々と続く。道路の両側の南と北、お花畑の向こうに、山脈が東西
 
に伸びる。山頂の白い万年雪は太陽の光をキラキラと反射していた。
 
     
 
 かつて、三蔵玄奘はこの景色の地を旅した。草しかないこの大地では天山山脈が方角を
 
教えてくれる。インドに辿り着くには、どこかで、この天山山脈を越え南に下らねばならない。
 
この険しい道を延々と中国からインドまで歩いて行こうと、よくも決意したものだ。どんな辛い
 
思いをして、どれほどの硬い決意と強い希望を持って、インドまで辿り着いたのだろうか。
 
 考えただけで頭がクラクラする。長いスパンで物事を巡らせるということが現代人にはでき
 
にくい。生涯をかけて何か一つのことを追う。そういう人生の立て方を羨ましく思うばかりだ。
 
彼は二十六歳で決意した。
 
 三蔵法師の足跡を残すと言われる遺跡は、すでに掘り起こされ、どこかに持ち運ばれ、
 
もぬけの殻だった。大きな穴が地面に残る。辺り一面、大アザミの群落が覆う。白い埃をかむ
 
ったような灰白色の葉と、鋭い刺と、咲き乱れる赤紫の花が荒々しい。ところどころに、これは
 
麻薬だと通訳さんが説明した大麻のような草が自生していた。
 
      
 
 次に立ち寄ったのはブラナの塔だ。
 
 草原の真ん中に、先が欠けた巨大な土筆が、突然ニョキッとたった一本突き出ていた。
 
 昔は四十五メートルの高さだったが、地震で崩壊、修復、現在は二十五メートルだ。この塔
 
いったい何だったのか。回教寺院のミナレットのようなものか、見張り台の役目を果たした
 
か、詳しくは分かっていないらしい。
 
 塔の途中まで登ることが出来た。塔の周りを見渡すと、本当に何もない。ただただ草原が
 
あり、草原の端に万年雪を頂いた山脈が連なるばかり。かろうじて、塔の横にバラック小屋
 
ような小さな平屋があった。博物館だった。その近くに、突厥の戦士の墓といわれる高さ
 
五十センチくらいの石人が並んでいる。モディリアニの人物画そっくりの卵形の優しい顔だ。
 
およそ戦士に似つかわしくない。昔、この草原に住んでいた人達の顔は、あんなに優しげだ
 
のだろうか。
 
           
 
 さらにイシク・クルを目指す。
 
 道すがら、民家のある村のようなところを通り過ぎた。ロバの引く荷馬車に二人、三人と
 
腰掛け、ゆったりと手綱をとる。一人行く人は馬上の人だ。山高帽のような帽子で、毅然と馬
 
を進める。その姿は凜々しく、“格好良い!”の一語に尽きた。友達と二人、楽しそうに馬に
 
相乗りしている少年達の顔は日焼けして黒光りしている。少年の愛馬なのだろう。よく手入れ
 
され、馬の毛もピカピカ光る。突然、シャッターを切る瞬時も与えず、疾走して行き過ぎる馬の
 
背で少年が笑った。笑顔で私達を振り返る。
 
「馬に乗れなければキルギス人ではない。男の子は四才で馬に乗せる」
 
 通訳さんは言った。
 
                   つづく
               白いロバの頭の上の方に造花の赤いバラが飾ってあるのですが、
             分かりますか。
 
 
 
 
 
 
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憧れの天山北路 4 への6件のフィードバック

  1. パンチ より:

    向こうの10万いくらくらいだろう?家買えるんだから物価安いのか??日本も戦時、戦前には馬が普通に道路走ってたらしいよ、牛はトラックのかわりだったらしい

  2. ちえみ☆ より:

    おはよ~素晴らしいですね。ビルばかりの中で暮らしていると自然が恋しくなります。行ってみたいです。何処までも続く道を見て見たいです(^O^)/

  3. САБУРО(サブーラ) より:

    САБУРО(サブーラ)です。ハワイ、欧米等観光化された国とは違い、トイレの不自由さ、不衛生さは想像がつきます。私も昨年中国の鉄道でトイレに行こうとしましたが、躊躇い、我慢した経験がありますから。まあ、それがある面、観光化されていない国の避けられないことである反面、キルギスでは最早、我々には見られない牧歌的な風情を体験できる魅力もあります。また、続きを楽しみにしています。(^^)

  4. さんぽ より:

    流石に大陸の大地ですね~今回やっと カナダやアメリカにも似た場所をフォトで拝見しました。花の咲く時期に行かれたのはよかったですね。

  5. Misa より:

    こんばんは☆メキシコのトイレもすごかったのですが(便座無くなってるし、大きな虫がいっぱいだし)それならいっそ大自然の中で、というのも、ちょっと経験してみたい気がしますよ(^-^)美しい景色だけれど、その中を歩いて長く旅するというのは、便利な世の中にいる私たちには想像がつきませんね。。。強い意志をもっていたからこそですね。ロバの上の赤いお花、わかりますよ。何かのマークかな?飾りかな。かわいらしいですね(^-^)

  6. 白い花 より:

    自然は素晴らしいし、人も素朴で良いのですが、私達のような先進国人?には、生活するのは無理です! 洗濯機もありません。たまに旅行で行くのが良いですね。物価はすごく安いです。中古の車の方が家より高いのですから。帰国後、通訳の人からパソコンのメールが入り、中古の車を買いたいので日本へ行くというのです。車代10万円で、××型の良いのを探して欲しいと。そんな値段ではないし、滞在費も高くつくので無理だと返事しました。彼らが日本へ来たら、きっと物価も含めて、なにもかもに驚くでしょうね。

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