お久しぶりです。お元気に新年を迎えられたでしょうか。
私のほうは、今年も、もう17日なのに、なかなかブログを再開できそうにありません。昨年くれから、色々と忙しくしています。家の修理から始まって家族の病気と続き、自分自身も体調を崩し、今に至りました。
申し訳ないですが、もう少しお待ち下さい。
お久しぶりです。お元気に新年を迎えられたでしょうか。
私のほうは、今年も、もう17日なのに、なかなかブログを再開できそうにありません。昨年くれから、色々と忙しくしています。家の修理から始まって家族の病気と続き、自分自身も体調を崩し、今に至りました。
申し訳ないですが、もう少しお待ち下さい。
11月からそろそろと思っていたのですが、色々浅い事情!?があってストップしています。
一つは歯の治療の進展が遅いこと。
もう一つは、ブログの形式が変わり、戸惑っています。以前のブログの書体、写真のレイアウトなど変になってしまいました。手直しすべきか、このままにしておこうかと悩んでいます。
その上、我が家の水道管に亀裂が入り、水漏れしているのですが、場所の特定や、修理方法が決まらずオタオタしています。
と言うことで、再会は早くて12月、遅いと年明けにになりそうです。悪しからず!!!!!
ゾウさんだけでなく他の方々にも、この場をお借りしてお詫びいたします。
誠に申し訳ございません!!!!! お許し下さい!!!!!
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今日の写真は、また須磨離宮公園へ行ったときのものです。公園内の温室に色とりどりの花が咲いていました。歯のほうは、来月5日の予約を待っています。前回に型取りした、新しい左下の部分入れ歯ができているはず。1か月ほど様子を見て、良さそうなら、次は右下の第2大臼歯を少し高くします。これは部分クラウンで、端が舌に引っかかるということもなく、細工は上手なのですが低いのです。作り直しはせずに、上面に金属を足すようにお願いしました。新しく作りなおしても、端がめくれて舌に当たり血が出るようなのが、できてきても困るからです。それで、治療は完成です・・・ あと半年と思っているのですが・・・今回は、第三章 大学病院から民間病院へ の ”12 スプリントを投げ捨てる” で、この章の最終回です。「歯科巡歴の記―歯科からの帰還」第三章 大学病院から民間病院へ十二 スプリントを投げ捨てる二月半ばに、民間病院の診察があった。歯科医と話をすればするほどバカにされているようで、いやになって帰ってきた。早く次の歯科医を見つけなければと焦るが、大学病院補綴科の元主治医に相談に行くにも、予約の日はまだ三週間も先だ。待っているあいだに、もう一つの歯科大学へ行ってみようかと思ったが、踏みとどまった。大学病院だから初診では話を聞くだけで、検査を一通り終えて、治療方針や主治医が決まるまでには二カ月はかかる。それから、新しい主治医に、九年近い治療の経過と今の歯の状態を理解してもらうまでには、また何カ月かの試行錯誤が必要になるだろう。元の主治医に相談するほうが、まだ手間暇や精神的な煩わしさが少ない気がした。民間病院の歯科医から、頼んでいた紹介状が届いた。以前、大学病院へ初めて行くときにも、開業医の歯医者から紹介状を貰ったことがある。そのときは、なにを書いてあるのか気になっても、封筒を開けてなかを見ることに躊躇いがあった。封は開けずじまいだ。今度は、これを書いた歯科医への信頼が完全に砕け散っていたので、なんの躊躇いもなく封を切った。中身を読んで驚いた。この十カ月で症状は改善されたが、噛みしめの症状がきついと書いてあるだけだ。「筋肉の緊張が随分とれた。歯の状態も改善されたので、口腔内の調整を一度だけした」と。五回もクラウンなどを削ったのに、記憶にないのか。カルテに書いていないのか。ごまかそうとしているのか。それに、治療の中止の理由については、まったく触れていなかった。こんな紹介状を持っていっても、これからの治療の役には立たない。この内容を信じて誤解され、むしろ害になるだけだ。だが、宛名は補綴科の元主治医になっている。私が勝手に捨てるわけにもいかない。頼まなければ良かった。怒りをバネにして、気力を奮い立たせることもできない。腹が立つ以上に惨めで、悲しくなるだけだ。三週間が鬱々と過ぎる。三月も半ば、庭の桜の蕾が膨らみだしたころ、やっと予約の日が来た。大学歯科病院の元主治医に相談に行く。私の立場は、元主治医からなんと言われても仕方がないものだと覚悟している。だが、どんな顔でどう切りだせば良いのだろう。「僕としては、また帰ってこられても困ります。僕では治らないから、他へ転院したんですからねえ。治す自信なんて、僕ないですよ。でも、患者さんの立場になって考えると、ここへ帰ってくるしかありませんよねえ」意外な元主治医の言葉に驚いた。こんな優しいことを言ってくれる人だったのか。「でも、いったん引き受けておいて、なんで今になって投げだすのですかねえ!」「さあ……、診察日が月に一度になるのでとしか……」「それで、他を紹介もしないのですか! なんなんですかねえ! 無責任すぎますよ!」まさか私がこんなときに泣き出すとは思ってもいなかったのに、今にも涙が出そうだった。堪えるのが精一杯で、うなだれたまま聞いていた。この歯科医にまた診てもらうかどうかは、まだ決心がつかない。話を進めていくうちに意外なことがわかったのだ。元主治医は、私が民間病院へ転院したのは、そこの歯科医の経歴や権威のためだと思っていたようだ。民間病院の歯科医は、かつてこの大学病院の教授で、院長をしていたこともある。「私は、そんなことで選んだのではありません。民間病院だから治療の回数が多いのと、顎関節や噛み合わせに詳しく、診察時間が過ぎても残ってみてくださる面倒見のよい方だとお聞きしたからです」以前に、二人目の主治医の教授から、この元主治医に替わった経緯も説明した。二人目の主治医は診察時間が過ぎると、治療の途中でもさっさと帰ってしまうような人だった。自分の失敗を隠そうと、嘘も言った。他にもっと上手な歯科医がいることが分かり、替わってくれるように頼んだ矢先に、その歯科医が病気になって病院を辞め、代わりに、この元主治医が紹介された。そんなことを話した。驚いたことに、この元主治医は、私が替わって欲しかった歯科医の弟子だという。どうしてこの歯科医が紹介されたのかと思っていたが、あの歯科医の抜けたポストを継いだ人だったからだろうか。だが、専門はまったく違う。師匠は噛み合わせで、弟子はインプラントなのだ。元主治医は、私が師匠の歯科医を選んでいたということに、気をよくしたようだ。「まあ、どの医者でも、自分が一番と思っているのです。他が駄目で自分のところへ来たのなら、治してあげよう。自分なら治せると思うものですよ」「はあ」「でも、あなたの場合は、噛み合わせが重要な問題だから、僕よりも噛み合わせに詳しい先生を紹介しましょうか? 僕も一通りは勉強していますが、インプラントが専門ですから」この歯科医で治らないから転院した。噛み合わせに詳しい別の歯科医のほうが、適任にちがいない。しかし、紹介をすぐには頼めない理由があったのだ。そもそも民間病院へ転院した一番の理由は、左側のクラウンや部分入れ歯が舌に当たって痛かったのに、そのままで我慢するようにと言われたからだ。舌に当たるようになったのは、左上のクラウン二本を作りかえたときに内に入り過ぎ、その左上に合わせて作った下のクラウンや部分入れ歯も内に入り過ぎになったためだ。口腔内が狭くなったから、舌が歯に当たるようになったのだ。噛み合わせも筋肉にも問題はあるだろうが、これが直接の原因ではないかと、私は思っていた。そして、左のクラウンなどを作りかえたのは、この元主治医なのだ。もう一度、クラウンや部分入れ歯を作りかえて口腔内を広くしなければ、舌が歯に当たるのは治らない。事情を知らない他の歯科医では、これを解ってもらえないのではないか。このころは、以前にも増して、私はそう思うようになっていた。それは、このことを民間病院の歯科医に説明したときに、まったく取り合ってもらえなかったからだ。私の話だけでは駄目なのかと、元主治医から、やっと返してもらったクラウン二本と、そのとき参考のためにと一緒に手渡してくれた石膏の歯形や、昔のレントゲン写真を持っていったこともある。だが、それを見る必要はないと、歯科医は言ったのだ。大幅に何本もの歯の位置を変えるように、クラウンなどを作りかえるのは、危険で、恐ろしいことなのだろう。軽々しく、 患者の訴えどおりにするわけにはいかないのだと、私は理解した。選択肢は他にも、この病院の第二補綴と、もう一つの歯科大学もあったが、左上下のクラウンや部分入れ歯を何本も作りかえて、口腔内を広くできるのは、この元歯科医しかいない。まず、この歯科医に作りかえてもらってから、噛み合わせに詳しい歯科医を紹介してもらうのが良いのではないか。それに、この日の元主治医の対応は本当に意外で、優しいものだった。以前の初診のころを思い出した。四時の診察終了時間が過ぎても、会議をキャンセルしてでも、残って治療をしてくれた。信頼していた歯周科の歯科医も、勧めてくれていた。口は悪いが、良い医者なのかもしれない。この人に決めようか。もし、それで駄目なら、噛み合わせに詳しい歯科医に替わってもらうこともできるのだ。「ええ、でも、新しい先生だと、また最初から解っていただかないといけませんし……。先生にお願いできませんか? 一度、試していただいて、もし駄目なら、その先生に替わってくださいますか?」「ああ、そうですか。そうしましょうか」元歯科医はそう答えると、以前に取った何組かの石膏の歯形を見せながら、今後の治療について、いろいろと説明してくれた。そして、私の話も聞いて、舌に当たって痛い左側を作りなおすと、言ってくれたのだ。二時から三時の予約なのに、とっくにその時刻は過ぎていた。「お時間、よろしいのですか?」「このあと、他の予約はありませんので、時間は気にしなくて大丈夫ですよ」四時も過ぎたころ、診察が終わった。家に帰り着くと、とっくに日は落ちて、屋根の上に瞬く北極星が大きかった。薄暮のなか、高速道路を走っていたときは、ちょうど大型トラックのラッシュ時で、緊張してハンドルを握っていた。居間の明かりを付けた途端、一度に重荷を下ろしたように気が抜けて、椅子に座りこんでしまった。なにもかもがバカバカしい。痛みや不快感を我慢してスプリントを付けているのも、バカバカしいのを通り越して、滑稽に思えた。ポイと口から吐き出して、ゴミ箱に投げ入れてやろうか。ゴミ箱に捨てはしなかったが、すぐに外して、テーブルの上に打ち捨てた。翌日、民間病院へ電話を入れた。「次回の予約は、キャンセルさせていただきます。次の歯科医が決まりましたので」一週間後に最後の予約があったのだ。前回の診察での歯科医の話や対応にすっかり嫌気がさしていたが、次が決まらないうちは行くしかないと思っていた。しかし、一カ月後の予約とは言え、もう決めたので、まったく行く気がしなくなったのだ。キャンセルの電話をするのさえいやで、しないで放っておきたいくらいだった。だが、私は礼儀として断りの電話を入れる偽善者、小心者だ。自己正当化のために、とりあえずの行動をとる自分が、いやになった。結局、この十カ月は、なんだったのだ。五年半もの試行錯誤の末、やっと作ったクラウンや部分入れ歯を削られ、駄目にされた。歯が低くなりすぎて、スプリントなしでは過ごせなくなってしまった。食事もままならない。顔の外観も、歯のない老婆のように頬がこけた。重症の噛みしめやカチカチが始まり、治っていた顎関節や筋肉の痛みも再発した。このままで、泣き寝入りをしたくはない。だが、この症状をなんとかするのが先だ。それなのに、すぐになんとかしてくれるところはないのだ。次回の元主治医の予約は、一カ月後だ。鎮痛剤だけが頼みの綱。あとは気安めかも知れないが、顎や顔面の筋トレに励むしかない。「ひどい歯医者に、ひどい目にもあってるけど、良い人にもたくさん出会っているって。悪いなかでも、良いように、いってるんちがう?」友人の言葉に、私は頷いた。支えてくれる人がいる。親しい人や友人はもちろん、県の歯科相談所の歯科医や歯周科の担当医、それに思いもかけない元主治医。その優しさが、心に積もってゆく……。
このあと治療はまだ続いて、現在は大学病院の元主治医のところへ通院中です。ですが、ブログの続きは、勝手ながら、しばらく休ませていただきます。楽しくもない話を長いあいだ読んでくださって、本当に有り難うございました。ブログを書くのは初めての経験で、最初は戸惑いながらでした。読んでくださる方がいるかどうか見当もつかず、心細いスタートでした。でも、たくさんの方が訪ねてきてくださって、優しい励ましのコメントまでいただくことができました(嫌がらせのコメントがまったくなかったのは、意外なほどです)。それは、ブログを続ける励みになったのはもちろん、それ以上に、どんなにか、歯の治療を続ける励みになり、慰められたことでしょう。ほんとうに、ほんとうに、有り難うございました。たぶん秋くらいから、この続きを再開させていただくつもりです。良い結果をお話しできると思いますので、そのときは、またどうか宜しくお願いします。皆様のご健康と、ご活躍をお祈りしています!
「診察は打ち切る、他を探すように」と、突然言われて、今度こそもう持ち堪えられないと、パニック状態になる。他に当てはない。ワラをも掴む思いで県の歯科相談所へ行った。「民間病院では対応できないので、大学病院へ行ってください。近くに、もう一つ歯科大学があります」というアドバイスだった。インターネットで、もう一つの歯科大学を調べてみた。そのホームページには簡単な説明しか書かれていなくて、詳細は分からない。以前に行っていた大学病院に比べると、診療科の数も少ない。補綴科も前のところは第一、第二と二つあったのだが、一つしかない。この歯科大学は開業医の歯医者を育てるのが目的のようだと人伝に聞いた。卒業生の開業医との連絡網があって、適当な歯医者を紹介するシステムはあるようだ。歯科相談所で相談に乗ってくれた歯科医の卒業歯科大学を見ると、以前に行っていた大学よりも診療科の種類も数も多い。筋肉やスポーツ関連の科まである。ついでに他の歯科大学のホームページも見てみた。どこでも同じようなものかと思っていたら、大学によってずいぶん違うのだ。大都会ほど大学も病院も数が多くて、医療は充実しているのだと痛感する。私の住んでいる地域では、隣の県に国立大学の歯科と私立の歯科大学が一つずつある。民間の歯医者は私の住む県内に三千軒以上もあるらしい。三千軒から良さそうなところを探すのは至難の業だが、セカンドオピニオンは聞きに行きやすいだろう。地方の町に住んでいる知人が愚痴っていた。「私の近くなんか、大学は一つで、開業医の歯医者の数ももっと少ないのよ。だから、何軒か梯子すると、歯医者のあいだでブラックリストに載せられたも同然になって、どこへ行ってもまともに取りあってもらえなくなるの」「開業医が駄目なら公立病院とか大学病院へ行けば? だったら大丈夫でしょう?開業医と、病院、大学病院などの歯科医師会は別々で、開業医の歯科医師会とは別に病院歯科医師会があるらしいし、大学病院の歯科医は文部科学省の管轄とか」「別々の組織でも、狭い地域だからツウツウなの」何軒目かの歯医者であまりに長く待たされ、変だなあと思っていた。すると、「あの人は他の歯医者でも治らずに来た人で、やっかいだから待たせておけば良い」と、歯医者が助手に言うのが聞こえてきたらしい。待合室まではっきり聞こえるくらいだから、嫌がらせにわざとなのだろうか。「もう、どこの歯医者へも行く気がしないの。行っても治らないし、しかもそんな扱いだし。歯医者へ行っても地獄、行かなくても地獄なら、行かないほうが精神的にまだましなのよ」「でも、そんな状態のままで我慢するの?」「仕方ない……、新幹線で大阪まで通院したこともあるけど、駄目だったし」彼女は開業医で歯を何本も削られて、噛み合わせや顎関節が悪くなった。平衡感覚もおかしくなって立てなくなり、救急車で病院へ運ばれたそうだ。それ以来九年間も、歯は治らないし、家の中でも杖をついた生活なのだ。車の運転はしないので、家人が休日に車に乗せてくれるときぐらいしか外出はできないと言う。あまりの行き場のなさに裁判を考えたこともあるそうだ。だが、裁判の証拠集めのために弁護士が裁判所の書状を持って歯医者へ行くと、カルテの開示をその歯医者は拒否したのだ。裁判所のカルテ開示請求の書状には、強制力がない。医療裁判は患者に不利だとは、私も弁護士に聞いていたが、想像以上の困難があるようだ。彼女は、私よりもずっと辛くて苦しい経験をしている。あんなふうに我慢する生活しかないのだろうか。いずれ私もそうなるのだろうか。私の住んでいるところは東京ほどの都会ではないが、彼女の町よりはまだましだ。それでも、新幹線で通院するくらいは、私も覚悟している。しかし、どこへ行っても治る保証はない。試しに行くだけなのだ。考えがまとまらない。思い悩んでいると、三週間が長い。木の寒さよけのようですが、今頃でもまだ外さないのでしょうか。やっと、大学歯科病院歯周科の予約の日が来た。とりあえず、相談に行った。「えっ!? 診察できなくなったのですか? 紹介もしてもらえないのですか……」歯周科の歯科医も言葉に詰まる。「月に一度の外来では、他の患者さんもいらっしゃるでしょうから、毎月診ていただくのは無理かもしれませんね。でも、それならそれで、普通は紹介しますよねえ」「もう、これからどこへ行けば良いのか……」「じゃあ、またこの病院へ帰ってこられたら」「ええ、でも前の主治医では治らないと思ったので転院したのですし……。県の歯科相談所で、他の歯科大学もあると教えてもらったのですが……」「私は、この病院が良いと思いますよ。じゃあ、主治医を換えてもらえばいかがですか?」「五年間の通院の空白がないと新規にはならなくて、同じ先生が主治医になると、事務の方が以前おっしゃっていましたが……」「ああ。でも他の先生が良ければ、替わって欲しいと遠慮せずに言えば良いのです」「そうですか? あのう、それと、第一補綴と第二補綴はどう違うのですか?第一補綴から第二補綴に移ることはできるのですか?」「ああ、第二補綴は、交通事故などで歯だけでなく顎の骨まで割れたりした人の歯を、修復したりもするのですが、まあ似たようなことをしています。第二補綴に替わりたいのなら私が紹介してあげますよ」「そんなことができるのですか? 私は補綴科の主治医でないとできないとばかり思っていました」「大丈夫ですよ。でも、前の主治医の先生は人気のある先生で、お上手だと思いますけど。相性もあるでしょうが」「そうですか? でも歯を削ったり調整したりするのは、以前の教授のほうが細やかだったように思います」「年配の先生は年季が違いますから、手慣れているとかは違うかも知れませんね。でも、あの先生は見ていても、巧いですよ。私なら治療してもらいたい先生ですけど」そうかなあ。信頼している歯科医の言葉でも、すんなりとは信じられなかった。「来月、一応、相談のために補綴科の主治医の予約を取ってありますので、行ってみます。ひょっとしたら、他の先生の紹介をお願いするかも分かりませんが」「良いですよ。いつでも言ってください」「もう、どうしようと落ち込んでいたのですが、ほっとしました。有り難うございました」まだ、次の歯科医が決まったわけではないが、もしものときは紹介してもらえるのだ。そう分かっただけでも、相談に来て良かった。大船に乗った気がした。もう一つの歯科大学か、この大学歯科病院の第一補綴科か、第二補綴科か。新幹線で通うか。選択肢は大学病院の歯科に絞られ、四つだ。第一補綴の予約は三月。その結果次第で第二補綴と、もう一つの歯科大学へ行くことにしよう。三月末までは、民間病院の歯科へ通うつもりだった。どこかにぶら下がっていないと、痛みがひどくなったりとか、もしもの時に行き場がなくて困るからだ。二月半ば、三週間隔の予約の日だ。、歯科医はスプリントの再調整をさっさと済ませた。気がなさそうに見える。こんな状態の人に頼んでもと思ったが、どう考えても、ここで続けて診てもらうのが一番良いように思った。「次のところがなかなか見つかりません。決めかねています。やっぱり、ここでクラウンなどを作っていただけませんか?」他へ行ってもスプリントで調整してくれるようなところはなくて、この状態ですぐ型を取ってクラウンなどを作るだけ。それなら、今すぐにここで作っても同じことだ。私の症状を理解していない他のところよりは、私にとってはまだ条件は良いのではないか。前回と同じように、そう頼んでみたが、駄目だった。「僕は、そんな無責任な治療はしたくありません」投げ出すほうがもっと無責任だ! 私の価値観ではそうだ。「でも、清水の舞台から飛び降りるつもりで、大学病院からここへ替わったのですよ」「ええ、ええ」にこにこと笑みを浮かべながら歯科医は相槌を打った。信じられない。この態度はなんなのだ!「それに、大学で五年半もかかってやっと作っていただいたクラウンや部分入れ歯九本のうち、七本を低く削ってしまったのですよ」「はい」穏やかに頷いた。まだ、にこやかな笑顔だった。どういう人種なのだ。信じられない。こんな人に診て欲しいと頼むのも愚かしい。それにしても、こんな経緯になって申し訳ないの一言ぐらい、言ってくれても良いではないか。言うべきではないのか。そんな言葉は、まだ一度も聞いていない。帰りぎわ、当てつけのつもりだった。「先日、仰ったとおり、大学の歯周科の先生に相談に行ってきました。面倒を見てくださると仰ってくださいました」「ハハハハー、あの先生がですか」歯科医はバカにしたように鼻で笑ったのだ。私はこの態度を理解できなかった。相談に行けと言ったのは誰なのだ。「いえ、歯周科の先生が診るということではなく、他の先生を紹介して下さるということです。前の補綴の主治医とは来月、お逢いします」「少しでも早く次の先生のところへ替わった方が良いですよ。それが患者さんの利益になりますからね」どうしてこんなときに、そんな穏やかな態度で、善人ぶったことを平気で言えるのだ!「前の主治医はお若くて、先生ほどはスプリントを使った治療の経験もないようで……」「あの先生は中堅で、若くはないですよ。あの年なら、すでに教授になっている人もいますよ。もっと若くて、なる人もいます」ああ、この人はこういう価値感の人なのだ。きっと、自身は早くに教授になったのだろう。大学歯科病院の二人目の主治医だった教授も、常識では考えられない酷いことをする人だと思ったが、比べてみればまだ可愛いものだった。うしろめたさが態度に出た。この人はその上をゆく。院長まで上りつめる人は、凡人とはぜんぜん違う人種なのだろうか。ちょっと分かりにくいですが、水琴窟です。ここのは竹の棒を地面に当てて聞きます。つづく
十 もう保たない新年早々、突然、歯科医が言った。「クラウンなどは作り直さない。四月から診察が月に一回になるので、三月末で診察は打ち切る、あと二カ月の間に他を探せ」と。月一回の診察なら大学病院と同じだから、ここで診て欲しいと頼んだが、駄目だと言う。いくらなんでも酷すぎる。急に打ち切りも酷いが、それならそれで次の医者を紹介してくれるものだろう。突然の話に呆然とする。いくら頼んでも、引き続き診察することはできない、他に紹介もできないの一点張りで、取りつく島もない。七十歳近い年だ。どこか健康状態に差し障りがあるのだろうか。ひょっとしたらガンとか、なにか重篤な病気なのかも知れない。突っ込んで聞くのもはばかられた。昨年の夏にここへ転院したとき、歯科医の年齢が気になっていた。どうぞ、私の治療が終わるまで元気でいてくれますようにと、つい思ったものだ。「有り難うございました」私の帰りぎわの挨拶に、歯科医は笑顔を作った。それでも私が診察室を出ようとドアに手をかけたとき、カルテを書きながら上目遣いに私の姿を追っているのが分かった。他の衛生士も受付の事務員も引き攣ったような顔で、私をじっと見つめていた。いつもの笑顔はない。部屋の雰囲気も、いつもとは違った。シーンという音が私を目掛けて刺さってくる。私の感じている以上にたいへんなことになったのだと、改めて気が付いた。廊下を一歩、もう一歩と進む。階段を一段、もう一段と下りる。一歩、一段ごとに実感が湧いてきた。大変なことになったのだ。どうしよう。一階の会計カウンターに辿り着く頃には、絶望感が押し寄せていた。やっぱり治らないのだ。帰りのウナギの道はどう歩いてきたのかも記憶にない。自宅に辿り着くまでの記憶がまったくなかった。なんで月に一回の診察になるのだろう。病気なのか、それとも他の病院へ変わるのだろうか。どこか他の病院でも診察をしていないだろうか。そんなことばかりが頭の中で行ったり来たりしていた。帰宅すると、すぐにインターネットで調べたが、他では診察はしていないようだ。その日は、他にはなにをする気力もなかった。私の精神力ではもう保たない。治療を始めて三年目の頃も、もうこれ以上は精神的に保たないと思い詰めていた。衝動的に自殺するかも知れないと、自分自身の行動が不安だった。通院の途中で電車に飛び込みそうになる。プラットホームの端には立たない、端は歩かないようにしていた。歯を大きな石にぶつけて粉々に砕きたい。そんな衝動にも駆られ、その姿が目に浮かぶたびに寒気がした。今度は、あの時ほどの元気がない。エネルギーがもう残っていない。その場にへなへなと崩れ落ちて、消えてしまいそうだった。もう駄目だ。翌朝、なんとか気力を取り直す。愚痴っていても仕方がない。できることをしておこう。とりあえず、大学病院に電話して、これからのことを相談するための予約を取った。予約を取るなら少しでも早く電話したほうが良い。歯周科の担当医の予約はキャンセル空きがあって、三週間後の二月半ばに取れた。元の主治医に会うのは気が進まなかったが、補綴科の予約も取った。一カ月半後の三月半ばまで空きはなかった。それから、今かかっている民間病院へも電話を入れた。昨年からの治療内容を書いた紹介状を頼むためだ。大学病院へ相談に行くときに持っていくつもりだった。いくら私が厚かましくても、「他へ行きます」と転院して、十カ月経って「やっぱりまたお世話になります」とは言いにくい。今の歯科医から事情を説明して頼んで欲しい。紹介状を書いてくれるかどうかは分からないが、それくらいは歯科医の当然の責任だろう。自分で思いつくことはした。あとはなにもない。いつもならすぐにでも友人に電話をするのだが、その気力もなかった。それに、こんな話を聞かされても、返答にも困るだろう。一枚目の写真はこの写真の白い建物のところから見下ろしたもので、これは下からあ見上げたものです。白い建物の前が滝になって水が流れ落ちて、下の噴水のところまで流れてきています。しばらくして、たまたま友人から電話があった。話さずにはいられない。「こんなん、どう思う?!」「うそ! そんなバカな! それに、もし自分が診られないのなら、責任を持って次の医者を紹介するのが当たり前、常識でしょう!」「普通はそうするよねえ!」「無責任すぎる。信じられないわ。もし、他の病気で医者がそんなことをしたら、どうするの?大問題でしょう? 歯医者っていうのは、医者の自覚がないのかしら」それ以後は堰を切ったように、知り合いに電話した。誰に聞いても同じことを言った。「次に行ったときに、ここで最後まで診てくださいと、もう一度、泣きついてみたら」「そうね、駄目元で頼んでみようか。大学病院へ帰るにしても月に一回の診察で同じことだし他に民間の歯医者のあてもないし。そもそも大学病院で駄目だから、他に適当なところもないから、あそこへ転院したんだもん。これも前回、話したんだけどね」「そう。でも、もう一度頼んだら、そこまで頼りにしているのならと、思い直すかも知れないよ。ああ、それと、公の医療相談みたいなところに電話して聞いてみたら」そんなアドバイスをくれる人もいた。なにか知っていそうな人に片端から電話したが、他にこれという名案はなかった。インターネットでも歯科医を探してみたが、適当なところは見つからない。最新の技術を売りに歯列矯正をしている歯科や、審美歯科はたくさんある。顎関節の治療を謳っている歯科もある。だが、筋肉について知識があり、顎関節も噛み合わせも解り、補綴もするというような、総合的で地味な治療に重点を置いた歯科はないのだ。「スプリントを使って長期間治療するようなスタイルは儲からないから、そんな歯科医はだんだん減って、今は殆どいないのよ。昔そんな治療が流行ったときにやっていて、続けている年寄りの歯科医ぐらいね」「そうなの。道理で、見つからないはずね」「審美歯科とか、矯正歯科とか、インプラント専門歯科とか、仕事が楽で儲けの多いほうに流れるのよ」自身も歯科治療で苦労している知人が教えてくれた。歯科でなくても、産科や小児科などの3K労働の医者は減っていて、美容整形や肌のケアーなどの美容方面の医者は増えている。そういう時代なのだ。気分が落ち込むばかりで、どうして良いか分からない。今度は本当に保たないかも知れない。一軒目の歯医者から八年半、なんとか持ち堪えてきたが、もう駄目だ。自信がない。行動が起こせずに、ぐずぐずと時が過ぎる。やっと、市の医療相談に電話をする気になった。ワラをも掴む思いだ。「治療ミスや損害賠償の訴訟をするための相談はしていますが、これからの治療のためのアドバイスはしていないのです」相談員はそう言ったが、県の歯科医師会で相談窓口を開いていると教えてくれた。そこへ電話をすると、驚いたことに民間病院のあの歯科医の名前を出しただけで、話が進んだ。「偉い先生ですから、ご自分で失敗したのを目下の人に頼むのは面子が潰れるので、紹介したくないのでしょうね」えっ!? そんなふうには考えもしなかった。これが自然な考え方なのか。「あの先生は、その辺の歯科医や学生から見れば雲の上の人なのです。大学歯科病院の院長をしておられた方で、第二補綴だけでなく、第一補綴と第二補綴の両方の教授を兼任なさっていたこともあります。だから、紹介しようと思えば、どちらの科にもできるはずですよ」私が知らないことを色々と正確に知っているようだ。歯科医師名簿のようなものを持っていて、それを見ているのかも知れない。「あのう、それで、どこか適当な歯科の紹介はお願いできないのでしょうか?」「私達事務員は紹介できないことになっています。ですが、こちらまで来ていただければ、当番の先生がいて、その先生からは紹介できますよ」当番制で歯科医が詰めていて、歯の状態を診てから適当な歯科を紹介してくれると言う。翌日の約束を取ってくれた。冬の冷気に静かに日が射していた。古い土塀が傍らに続く石畳の道を行くと、目指す建物があった。「どういうことでお困りですか?」緊張して待っていると、セーター姿の歯科医が足取りも軽く現れた。四十歳前後だろうか。雰囲気が若々しくて、まだ青年の風情を残している。私の話を、メモを取りながら聞いてくれた。歯の状態も診てくれた。一時間半はかかっただろうか。「これは、開業医では手に負えないですね。知識も技術もないですし、時間もかかるので経営上もね。話を聞くだけでも一時間以上もかかりますから」「やっぱり、そうですか。大学病院でなくても良いのならと、迷っていたのですが」「筋肉や顎関節や、様々の知識がないと。僕の出身大学では、そういう患者さんを診ることができるので紹介できますが、ここからだと新幹線で通うことになります」歯科医の出身大学には、複雑な症状の患者のためのプログラムがあるそうだ。専門の違う複数の歯科医がチームを組んで、治療に当たるという。「ちょっと遠いですよね」「そうですね。だけど、もとの大学に戻るにしても、そこが駄目で他へ変わったのですからねえ……。あと、この辺だったら、歯科大学がもう一つあります。そこへ行ってみますか?町中なので、通院にも前の大学病院よりは便利ですよ」「大学病院でないと治療できなくて、前の大学以外と言えば、そこしかないですよね。一度行ってみます」「僕に腕があれば良いんですが。もし行くところがないときは、また来て下さい。相談に乗りますから」「長い時間、有り難うございました。またのときは宜しくお願いします。どこもないときは、新幹線に乗ってでも通うつもりでいます」ここへ来るまではお先真っ暗だったが、光が見えてきた。新しい気力が湧いてきたように感じた。「ゆっくりお話が聞けて良かったですね。お顔の表情がずいぶん明るくなりましたよ」昨日、電話で応対してくれた事務員さんも、そう言って見送ってくれた。優しくて忍耐強い先生で良かった。一軒目の歯医者からの話を延々と聞いてもらえただけでも、心が落ち着いた。開業医の歯医者では無理だということも、はっきりした。近隣の大学病院は二つしかない。前に行っていたところにするか。もう一つの歯科大学にするか。日が陰り始めた石畳の道は、まだ暖かそうにキラキラと光っていた。
今日の写真の椿は、近くの植物園で撮りました。でっかい花で、ちょっとけばけばしいのですが、元気がもらえそうな気がします。歯は次回の予約は3月はなくて、4月の初めです。今回は、第三章 大学病院から民間病院へ の ”9 突然の診察中止宣言” です。「歯科巡歴の記―歯科からの帰還」
第三章 大学病院から民間病院へ九 突然の診察中止宣言スプリントを付けても外しても両顎は痛いし、筋肉は緊張する。食事のときはスプリントを外していたが、左右とも奥歯が低すぎて満足に噛めない。下顎を後ろに引かないと上下の奥歯が届かないので、食べ物を噛むときはつい下顎を後ろに引いてしまう。顎関節の痛みが増す。特に右顎の痛みが大きかった。一度は安定していた顎の位置も不安定になり、噛み合わせも左右前後にずれるようになってしまった。奥歯は噛みしめるから治療の対象にはしないということで、前回は奥歯とスプリントが当たらないように調整した。すると、今度は奥歯の代わりに前歯がカチカチや噛みしめを始めた。スプリントの前歯のところに噛んだ跡形が付き、擦った跡がピカピカ光る。「カチカチ噛んだり、噛みしめるのは、体が無意識に反応して、高いところを潰して低くしようとしているのですよ」歯科医はそう説明した。一般的には納得のいく説明だと思う。しかし、私の今の場合、前歯は自分自身の天然の歯だ。奥歯を低く削ったので、相対的に奥歯より高くなっているだけなのだ。まして、奥歯はスプリントなしだと上下が届かないのだから、高すぎるはずがない。「低すぎると、却って上下の歯を噛み合わせようとして、力が入る」と、歯科医が以前に説明した状態ではないのか。十月も終わろうとしていた。「やっぱり調子が悪いです。クラウンなどを削ってから急に、こうなりましたよね。だったら、削る前の高さにもどしていただけませんか?」思いあまって、頼んでみた。「今、高くするのは危険です。あなたの歯は、噛み合わせが崩壊寸前の状態なのですよ」えっ?! いつからそんなことになったのだ。「……そうですか? そんなあ~、ハハハハー」突然そんなことを聞かされても、どう理解すれば良いのか。驚きと憤慨と戸惑いで、なんと言って良いか分からない。思わず笑ってしまった。「ハハハハハー」歯科医まで楽しそうに笑う。なんで笑うのだと腹が立ったが、私が先に笑ったので仕方がない。ますます調子が悪いのに「もう、予約も三週間ごとで良いでしょう」と言う。頻繁に来ても意味がないのだと。その後も症状は相変わらずで、診察のたびに同じような会話になった。ところが、「口腔内の変化になるようなことをするのは危険なので、もうクラウンや義歯は削らない。削ったものを高くすることも、変化になるのでできない」と言っておきながら、その後もまた削ってさらに低くしてしまった。最初からだと、まず左が高いと言って削り、次に右を削り、また左を削り、その後また右を削るというように、だんだん低くしたのだ。まず診察日二回続けて一度、少し開けてまた二回が一度、少し開けて一回が一度の三度にわけて、合計で五回の診察日に削ったことになる。結局、大学歯科病院で五年以上もの試行錯誤を経て、やっと作った九本のクラウンや部分入れ歯のうち七本が削られ、左右の奥歯とも上下がまったく届かない状態になったのだ。あんなに嫌だったのに、食事時以外は一日中ずっとスプリントを付けなければならいようになってしまった。顎関節も痛いし、噛むのにも不自由したが、顔の外観にも影響が出た。頬がこけて頬骨が高くなり、下顎も尖ったような変な顔つきになったのだ。「正面からは目立たないけど、ちょっと斜めから見ると、ほんとにペコッと頬が凹んでるよね。歯の状態でこんなになるのねえ」と、人から言われるほどだった。歯の高さの違いなど一センチもないミリ単位のものだろうが、すごいものだと、自分のことながら呆れるばかりだ。とうとう十二月、年内最後の診察になった。「今年はもう駄目でしょうが、来年初めにでも削ったクラウンなどを高くしてください。お願いします。このままでは悪くなる一方ではないですか?」「そうですね……」にこやかに答えてくれたので、安心して病院を後にした。年末年始に人と食事をする機会があるので、早くなんとかして欲しかったが、間に合わなかった。仕方がない。来年までもう少しの辛抱だ。六月半ばにこの病院へ転院して、七月には顎位が決まり噛み合わせも決まったと言われて喜んだ。ところが、その後、七月の終わりにクラウンなどを削ってから調子が悪くなり、夏も過ぎ秋も過ぎ冬になった。どんどん症状は悪くなって、良くなる気配がない。食事に不自由なせいか、体重も減っていた。それでも診察のたびに、穏やかでにこやかな歯科医の対応にほっとして、膨れた不安が小さくすぼんだ。きっと、なんとかしてくれる、最後まできちんと面倒を見てくれると、疑いもしなかった。お正月が過ぎ、新年最初の診察の日が来た。「スプリントに噛みしめなどの跡が付く限り、クラウンなどを高くすることはできません」一度は奥歯をスプリントに当たらないようにしていたが、また歯全体が当たるように調整していた。それでこのときは、スプリントの右奥歯のところが割れて穴が開き、前歯のところも噛んだ跡が光っていた。左奥歯からはじまった噛みしめやカチカチが、右奥歯へ、さらに前歯へと、全部の歯に広がってしまったのだ。「でも、先生、歯がこんなに低くなった状態では、噛みしめなどがひどくなるばかりでは……」噛みしめがなくならない限り高くできないと言うが、高くしない限り噛みしめなどはなくならないのではないか。これでは悪循環だ。やっぱり元の高さに戻して欲しい。しかし、歯科医は頑として、「高くはできない」と突っぱねた。ここでは保険治療はしない。だから、クラウンなどを作るとしたら自費になる。一本十万円。削ったのは七本だから七十万円だ。歯科医の考えでは、今の私の状態で作っても合うものはできないので、また作り直さなければならない。二回分の費用は誰が出すのだ。もとのクラウンは歯科医が削って低くした。患者があっさり二回も七十万円を払う訳もない。歯科医としても、おめおめと二回分は請求できないだろう。一回分の支払いで二回作ると大赤字だ。作らないという理由は、それもあるのかも知れない。疑心暗鬼になってくる。これから、いったいどうなるのだろう。次の三週間後の予約が来た。スプリントには、また同じような跡形が付いていた。「まだ、奥歯の跡も強く付いていますし、前歯も前後に滑らせた跡が光っています。噛み合わせの位置が決まっていないのでしょう」歯科医の言葉が白々しい。私は高く作り直すようにまた頼んだ。だが、歯科医もまたできないと答え、今度は、前歯が当たらないようにスプリントを調整した。奥歯のところは手を加えず、噛んだ凹みはそのままだ。調整後、スプリントがいよいよ緩くなって外れやすいと訴えたが、これくらいならと、これも取り合ってもらえない。診察が終わった。「実は、四月から月に四回の外来が一回になります。それだと責任のある治療ができませんので、他を探してください」「えっ!」突然の思いもかけない話だ。しかも、自分で他を探せ!?「どこか紹介してくださらないのですか?」「ええ……」「ここの他の先生にお願いできないのですか?」他にも、大学から二人の歯科医が診察に出向いていた。「それはできないです。頼むわけにはいきません」「はぁ?!」どうして、頼めないのだ。「……では、もといらっしゃった大学病院の他のお弟子さんにでも」「こういうことができる人がいたのですが、もう辞めていませんので」「はあ……、じゃあ、他の先生は?」「もう、僕は大学を出ているので、口を挟むのは良くないでしょう?」「えっ!? ……じゃあ、私はどこへ行けばいいのですか?」「三月末までは診ますから、まだ二カ月あります。その間に探してください」「でも、突然そんなことを言われても……、まったく当てがありません」沈黙が流れた。しばらくして、歯科医は背を向けて手を洗いながら言った。「ああ、大学の歯周科にはまだ行ってますよね? 歯周科の先生に相談したらどうですか」「はあっ?! でも、歯周科の先生は、補綴のことはご存じないと思いますが」「じゃあ、補綴科のもとの主治医はどうですか?」「でも、そこで治らないから転院したのです……」あまりのことに、私はまだ診察台から立ち上がれないでいた。歯科医は診察台に近づいて来ると、いつもの穏やかな笑顔で言った。「やっぱり大学病院が良いと思いますよ。設備も整っていますしね。それ以外に僕は適当なところを知りません」「でも、先生、大学だと診察は月に一回です。だったら同じことです。ここで月に一回で結構ですから、診ていただけませんか?」「そんな無責任な治療は、僕にはできません」「どうせ、大学病院へ帰っても、他の歯医者に替わっても、この状態のままで型を取ってクラウンなどを作るだけです。だったら、ここで作ってくださったほうが、まだましではありませんか?」「補綴はスプリントの調整と違って、月に一回ではなく、もっとつめて診なくてはなりません。月に一回では無理です。そんな無責任な治療を、僕はしたくないのです」「次回に作ってくだされば、四月までの二カ月の間につめて診ていただけるので、調整も充分していただけるのではないですか?」「できないです。作ったものが合わないと、患者さんは色々注文を付けるものです。僕は経験上、ようく知っています」えっ!? 作っても合わないので作り直さなければならないと考えていて、やっぱり、それが嫌なのだ。さらに歯科医は言った。「あなたの歯は簡単には治らないですよ。噛みしめなどは、なかなか、なくならないものです。まだまだ、これから長いことかかるでしょうね」えっ!?前回の写真は兵庫県の天然記念物指定になっている椎や樫などの常緑樹の照葉樹林です。常緑樹が多いと驚かれたようですが、他の山はこんな感じで落葉樹が結構多いです。早春の頃は枯れ枝の若芽がだんだん膨らんで、遠くから見ると薄いピンクの靄がかったように見えます。春が来たなあと実感します。余談ですが、この写真には竹がたくさん写っていますが、竹は山の雑草のようなもので、竹がはびこっているのは手入れされずに山が荒れている証拠だそうです。つづく
今日の写真は、歯科から帰りの道すがら撮りました。冬の終わりの景色です。歯の方は、月曜日の補綴の診察で、部分入れ歯を作り直すために型取りをしました。これは今のことで、下の話は2008年の出来事です。今回は、第三章 大学病院から民間病院へ の ”8 振り出しに戻る” です。
その後も、またまた、左右上下のクラウンや部分入れ歯を削った。カチカチと上下の歯を噛み合わせるのも、噛みしめもひどくなる一方だ。両奥歯が低過ぎるので、食べ物がますます食べにくい。顎も痛い。筋肉も攣る。スプリントは姿勢を変えたり、暖かい飲み物を飲んだり、話をしたりしている途中にも、ポロッと外れた。「こんなに歯が低いと、食べ物も満足に食べられません。カチカチや噛みしめも、いっそうひどくなりました。顎が痛くて、筋肉も攣って頭痛もします」私の訴えに、歯科医は笑うのを失敗したような薄ら笑いの顔で答えた。「スプリントを嵌めて丁度の高さに調整してあるのですよ」えっ! そんな話は初めて聞いた。「一日中ずっと嵌めていてください。食べるときは外して良いですよ」「でも、低いので、歯を噛み合わせようとすると顎関節が痛くて、巧く噛めないのですが」「食べ物を食べているときは歯と歯の間に食べ物が入っています。上下の歯が直接接触するのは瞬間で、何秒もありません。合計しても、わずかな時間です」「えっ!? でも、食べにくいです」「食事中に上下の歯が接触するのは、ほんのわずかな時間ですし、一日中、食事をしているわけではありません。それ以外の生活時間のほうが、ずっと長いのです。食事時に巧く歯が噛み合わずに不愉快なのは、たかだか何秒、一日で何分にもなりません」「はっ!?」「歯は食べ物を噛むだけでなく、それ以外にも大事な役目を果たしています。眠っているときや様々な生活全体の場面で不都合がないように、調整しなければならないのです」「はあ……」そうか、歯はものを食べるためだけにあるのではないのか。歯科医の言うことも、納得できる。だが、食べるのが苦痛で食事が進まず、体重が減ってくるのは、重大なことではないのだろうか。歯科からの帰りに高速道路で。 すいていると思ったのですが、 すぐ横を車がビューンと通るのは結構怖い!「あのう、それと、スプリントが緩くて、すぐに外れるのですが」「ああ、少しくらい緩くても大丈夫ですよ」「えっ!? でも、緩いと却って力が入って、正しい噛み合わせにならないと仰いましたが」「もう、スプリントに慣れたでしょうから、大丈夫です」「でも、話をしている途中にポロッと外れるのは、困るのですが……」「そういうときは、事前に外しておいてください」「はあ……」緩いと外れやすいばかりでなく、やっぱり力が入ると私は感じていた。だが、歯科医の言葉にそれ以上なんと言って良いのか分からない。おまけに、奥歯が低くなってからは、スプリントを外すと両頬がこけて見える。正面から見ればそれほど目立たないが、少し斜めからだと頬骨の下がえぐられたように凹んで下顎が三角に突き出ているのが、はっきり分かるのだ。奥歯が低いとこんな人相になるのかと、驚くほどだった。入れ歯を外した老婆みたいで、外出するのも、友人と食事をするのも億劫になる。早く、なんとかして欲しい。「もう少し下顎を左にしましょう」三カ月前に顎の位置は決まったと言ったときよりも、さらに左に下顎が来るようにスプリントを調整した。その夜、左顎下から首横、舌の左奥の筋肉が突っ張った。痛さのあまりスプリントを外す。外すと、筋肉は元に戻った。
大阪から高速を走ってくると、山の感じが変わり、美しい森になります。ああ帰ってきたと、ほっとします。していた。「痛みが悪いものだとは限りませんよ。痛いから、それを避けようとして顎をずらしたり、噛み合わせをずらしていたのかも知れません。顎や噛み合わせが正しい位置に戻ったので、また痛みが出ているということもあります」「ああ……」「それに、これまで筋肉は、間違った位置になっていた顎関節に合わせた状態になっていました。顎関節が正しい位置に変わったので、合わなくなって痛みが出たのかも知れません。僕は顎関節を正しい位置に戻しますが、筋肉は知りません。骨の状態に筋肉が付いてくるのではないですか」「はあ……」その後も良くなる兆しはない。不安が募る。高速を降りた道沿いで。良いお天気で、葉っぱがキラキラ輝いていました。「噛みしめもですが、歯ぎしりもしているようですね」「えっ! そうですか」「意識して治してください。お昼していることを夜眠っている間に繰り返しているものです。だから、お昼はポカーンと口を開けて、歯を噛み合わせないようにしてください」「はあ……」また振り出しに戻った。口をポカーンと開けておかないといけないのだ。カチカチと上下の歯を噛み合わせたり噛みしめたりは、以前にもあったことはあったが、今度ほどひどくはなかった。夜、ベッドに入ると、前歯も奥歯も一斉にカチカチと噛み合わせてしまう。無意識ではなく、意識のある状態でしてしまうのだ。意識しても、止めることができない。毎晩毎晩、続いた。カチカチというスプリントと歯の噛み合う音を聞きながら、自分自身で噛み合わせの位置を探しているような気がした。噛み合わせの位置はこの病院へ替わる以前の状態に戻ってしまったようだ。「でも、カチカチや噛みしめですが、今までこんな状態になったことはないのですが」「いいえ、今までも、絶対にあったはずです。隠れていたのが出てきただけですよ」以前はこんなひどいことはなかったと思っていたが、そう言えばスプリントの奥歯のあたりが割れたことがあった。「一度割れたことがありますが、そのときの主治医には何も言われなかったので……」「そうでしょう。それがそうだったのですよ。ハハハハー」歯科医は、そのときの主治医が藪だと言わんばかりに笑って、自信を誇示するかのように付け加えた。「僕ほど時間をかけて丁寧にスプリントを調整する人は、いないでしょう?」「ええ……」症状は悪くなる一方だから納得していないのに、歯科医の話を聞いているとなんとなく安心してしまう。穏やかな雰囲気と落ち着いた話し口調は、天性のものなのか。あるいは、長年の経験から身につけた、この人の武器なのだろうか。
つづく
今日の写真は家の中に飾った花です。いつも庭の花などを見つくろって、玄関、リビング、キッチン、洗面所、トイレ、寝室などに生けています。歯の方は、水曜日に歯周科で痛い歯を診ていただいたのですが、神経を抜くほどではないということです。上下のクラウンの噛み合わせが良くなくて、強く当たって根っ子を刺激しているのかもしれないとか。全部のクラウンを作り終えるまで待って、まだ痛いのなら治療するということでした。これは現在のことで、下の話は2008年のことです。今回は、 第三章 大学病院から民間病院へ の ”7 スプリントが割れた” です。
第三章 大学病院から民間病院へ七 スプリントが割れたようやく、民間病院の歯科医に任せようと決心して、大学病院補綴科に転院することを伝えた。だが、その直後から症状が悪化する。民間病院の歯科医は「焦って、クラウンなどを削って調整したのが早すぎた」と言う。二日後に大学病院歯周科の予約があった。前回の予約は民間病院と重なりキャンセルしていたから、その代わりの日だ。たまたま補綴科の主治医を廊下で見かけたので、声をかけた。「申し訳ありません。先日お電話させていただきましたが、他の病院へ行っています」「ああ、聞いていますよ。あの先生なら僕よりも上手ですし、最後まできちんと面倒を見てくれると思います」わだかまりはあるだろうが、さらっと言ってくれた。「それと、お預けしていたクラウン二本を返してくださるように、お願いしていたのですが」「そんなの預かってました?」治療の参考のために預からせてほしいと、主治医のほうから言ったのだが、一年前のことを詳しく説明しても、まったく憶えていない。カルテを見て、やっと思い出した。しかし、どこにあるのか分からないと言うではないか。「僕が管理してたのではないですよ。助手がしていたので。その助手が辞めて人が替わったのでねえ。それに、あんなグチャグチャな倉庫、どこにあるのか見付かりますかねえ」それはないでしょう! 自分で直接管理していなくても、管理責任は主治医にあるのだ。あんなグチャグチャな倉庫って、患者に言うか!?「探してください。作った歯医者に、あれと交換に二十万円返してもらいたいのです」そのクラウン二本は金属製で前面がセラミックのはずだったが、実はセラミックではなくプラスチックだった。そんな高価なものではないらしい。騙されていたと、あとになって気が付いたが、形や高さを治療の参考にしたいというので預けていたのだ。「一応探しますが、出てこないかも知れません。それでよろしいですか?」はあっ!? 自分にはまるで責任がない人ごとのように言う。治療の本筋とは直接関係ないかも知れないが、主治医の話しぶりに呆れて、腹が立ってきた。「よろしいですとお答えすれば、出てこないに決まっています。絶対に探してください」押し問答の末、歯周科の次の予約日までに探すということになった。私は気は弱くはないのだが、見かけによらず押しが弱いと言われている。だから、折れずに押し切ることができたので、気分が良かった。我が家の庭で野生化しているシンビジュームを切り花に歯周科の診察室へ向かう。歯周科の担当医にさっきのクラウンの話をして、また驚いてしまった。「ああ、あのグチャグチャの倉庫では、見付けるのは難しいでしょうね」なんという病院なのだ。以前に一人目の主治医が五つも石膏の歯形をなくしたことがある。あれは例外的なことではなく、日常茶飯事なことだったのか。「三カ月ぶりですが、調子はどうですか」「ええ、とくには」しかし、担当医は私の歯を見ると、すぐに言った。「あれ、奥歯を噛みしめていますね」「えっ!? 今の先生には、いびきも噛みしめもないと言っていただいたのですが」「でも、歯茎の色が微妙に違いますよ」いつもながら歯周科の担当医は観察が鋭くて、小さい変化も見逃さない。一カ月ほど前にクラウンや義歯を削って低くしてから、奥歯に力が入って噛み込むことはある。だが、たいしたことはなく、スプリントにも噛みしめた跡はまだ付いていない。民間病院の歯科医も私自身もさほど気に留めていなかったのだ。「歯茎の様子を見たいので、つめて来てくれますか」「ええ……」歯茎の状態が落ち着いていたので二カ月ごとになっていた予約が、一カ月ごとになった。五色椿、ちょっと痛んでいますが・・・まもなく、歯周科の担当医の診断が正しいことが分かった。民間病院の次の予約日が来ないうちに、奥歯の噛みしめのためにスプリントが割れてしまったのだ。それも左は奥歯三本があたるところ、右は第二大臼歯のところと、左右両奥歯四本分が一度にヒビが入って、割れていた。民間病院の次の予約の日、歯科医も驚いた。「この硬いスプリントが割れるなんて、よほど強い力で噛みしめていますね」「はあ……」スプリントのプラスチックは仮歯のプラスチックなどに比べて数段硬い。仮歯や金属のクラウンは鉄のヤスリで簡単に削れるが、スプリントは硬いので鉄では歯が立たないくらいなのだ。「噛みしめている歯は治療の対象にしません。だから、この奥歯がスプリントに当たらないように調整します」歯科医はスプリントの割れたところを修理しながら言った。この日は、前回の指示通り、家から病院までの道中もスプリントを付けて来ていた。今回も前回同様に右奥歯だけが強くスプリントに当たっている。しかも奥歯の当たる部分が左右とも割れていたのだ。前回、歯科医はスプリントに右奥歯の跡形が付くのは、高いからではなく低いからだと言ったので、私は今度も両奥歯が低いからだと思っていた。しかし、今回は高いためだと、歯科医は判断したようだ。「少し削ります」「でも、もうかなり低くなっていて、噛みにくい状態ですが……」ついこのあいだ言ったばかりではないか。早々にクラウンなどを削ったのは間違いだった、口腔内を変化させるのは良くない、と。「高いものがあると、気になってカチカチと当たるものですよ」右側のクラウンをまた削った。スプリントも奥歯の部分はかなり削って、上下が噛み合わないように調整する。以後、スプリントがたびたび外れるようになった。他の症状もそのままだ。
玄関に庭の椿を生けました。花器は妹の作品。
今日の写真は、また我が家の庭です。首がまだ本調子ではなくて、冬眠中・・・。歯の方は、夜になると痛くなっていた奥歯がときどき昼も痛くなり、鎮痛剤で誤魔化していますが、次の予約が早く来て欲しいです。今回は第三章 大学病院から民間病院へ の ”6 調整を早まった!?” で、2008年のことです。サツキ「歯科巡歴の記―歯科からの帰還」第三章 大学病院から民間病院へ六 調整を早まった!?噛み合わせの位置が決まり、クラウンなどを削って奥歯の高さを調節した。筋肉の緊張がさらに緩む。嬉しくて、思わず「ばんざーい!」メールを友人に送った。その後、首の筋肉の緊張はいっそう緩み、左右の顎関節と耳が同じ高さになったのには驚くばかりだった。翌日、大学歯科病院の歯周科へ電話を入れた。歯周科の次の予約と民間病院の次の予約が重なるので、キャンセルするためだ。補綴科は民間病院へ転院したが、歯周科はそのまま大学病院で世話になっていた。歯周科の担当医は信頼していたし、治療以外の点でも頼りにしていた。それに今度の民間病院の歯科医は補綴が専門で、歯周は診ないのだ。補綴科は民間病院の様子を見てから断るつもりだったので、まだ主治医には転院することは知らせていない。前回の予約は、急用ができたからとキャンセルしていた。取りなおした次の予約は一カ月以上も先で、民間病院の治療のなり抜きを見るには都合が良かった。しかし、次回もまた適当な理由でキャンセルすることになるのだろうか。二度もなんて、気が重い。それに、ここまで民間病院での治療が進んでいるのだ。もう転院をはっきり決めても良いのではないか。大学病院の主治医に早く本当のことを言ったほうが、私の気持ちもスッキリする。キャンセル空きの無駄な時間を作ることもないので、大学病院の主治医にも他の患者さんにも都合が良いだろう。歯周科の後で補綴科にも電話を入れた。主治医は外来にいなかったので、若い歯科医に伝言を頼んだ。「民間病院へ転院します。予約が早く取れて、治療が早く進みますので・・・。長らくお世話になり、有り難うございました。主治医の先生に宜しくお伝え下さい」気分がスッキリした。預けているクラウン二個を、歯周科の次の予約のときに返してくれるようにも頼んだ。その時、主治医に直接挨拶できるかも知れない。春ですね。毛虫がもうでています。スプリントの調子は、例によって二、三日するとまた悪くなった。きっと、前回までと同じだろう。心配はないはずだ。左顎が少し高くなり、分かりかけていた噛み合わせもまた分からなくなってきた。それに、今度はスプリントを外しても付けても良くない。前回までとは様子が違う。一週間我慢すると、スプリントを付けている方がまだましになったが、顎の位置はすっかり以前に逆戻りで、元の木阿弥。首の筋肉も、また突っ張った。二週間後、左側上下の奥歯をカチカチしたり、噛みしめたりを時々するようになった。眠っているときに喉が詰まって、ゴボゴボという音で目も覚める。これは五軒目の歯医者の大きな仮歯のミス直後から始まり、大学病院でスプリントを嵌めるようになってから治まっていた症状だ。あのときの左顎から首や肩、頭にかけての痛みもそっくりそのまま甦った。まるで、大きな仮歯で全身の筋肉が攣ったときの状態を再体験しているようだった。状態はどんどん悪くなる。筋肉の緊張が少しでも緩むように、葛根湯を飲むくらいしか手はなかった。次回からは、三週間も予約が開くことのないように頼まなくては。予約の日がやっと来た。転院して二カ月が過ぎ、初診から数えて六回目の診察だった。この日は前回削った左上のクラウン二本と部分入れ歯二本をまた削ったので驚いた。前回以後、歯が低くなって食物を噛みにくくなったと伝えたのに、歯科医は気にも留めていないようだ。もっと意外なことに、右下の二本のクラウンも削ってしまった。左に比べて右が低いので、右の奥歯は上下届かない。だから、前回に続いて今回も左側を削ったのはまだ理解できる。だが、どうして低い右を削るのだ。右を削るという説明は事前には受けていない。「順番に調整して最後には作り直しますから、大丈夫ですよ」歯科医は私の不信感が分かるのか、にこやかにそう言いながらスプリントの調整もした。次の予約は三週間も開かないように頼んだので、二週間後になった。左側がますます低くなり、一段と噛みにくい。右側も低かったとは言え、大きい塊ならかろうじて噛めていた。それなのに、削ってさらに低くなったので、すっかり役立たずになってしまったのだ。
我慢したが、あまりの調子の悪さに一週間後の朝に病院へ電話をかけた。何度かけても話中だ。二時間も経って、やっと繋がった。「たまたまさっきキャンセルが入って、空きがあります。今日おいで下さい」先に私の電話が繋がっていたら、空きはまだなかったのだ。良かった。落ち込んでいた気分を振り払い、病院へ急いだ。「調子が悪いですか? うーん、クラウンなどを削って口腔内の環境が変化したからでしょう。もう当分は歯の状態を変えないほうが良いですね」「・・・・・・」次の予約は二週間後になった。調子が悪いのはそのままだ。我慢して二週間が過ぎた。次の診察のとき、スプリントに右奥歯だけの跡が付いていた。その場でスプリントを付けて赤い紙を噛ませても、外して噛ませても、右側だけに赤い印が残る。左側が当たらず右側が当たるというのは、右側が高いということだろうか。しかし、私の感覚では右側の歯が高いようには感じない。今までの私の経験でも歯が低くなると、つい上下の歯を噛み合わせて力が入り、筋肉が緊張していた。きっと右側は低いのだ。しかし、こんな理不尽なことを素人の私が言っても医者が信じるだろうか。ところが、意外だった。私が何も言わない前に、歯科医はこう言った。「これは右が高いからではなく、低過ぎるために却って力が入り、歯の位置が高くなっているのです。低いので、なんとか届かせようとしているためですよ」やっぱりベテランだ。場数を踏んでいて、色々と細かいこともよく知っているのだ。「顎が痛いからと言って、早々にクラウンを削らないほうが良かったのでしょうね。焦って調整を早まったのかも知れません。右下が低くなりすぎていますねえ」えー!? そんなあー。「なるべくスプリントを付ける時間を長くして下さい」「わかりました。今でも外出するとき以外は、できる限り付けるようにしています」その日は、クラウンは削らず、スプリントを調整しただけだ。「ああ、それと、病院へ来るときはスプリントを付けずに来ていますよね。何時間くらい外していますか?」「家を出てここへ来るまで、二時間くらいです」「左右奥歯の差が小さくなって、微妙な調整が必要な段階になりましたので、病院へ来る道中も付けて来てください。二時間も外していると、せっかくの調整が元に戻ってしまいます。調整した状態を保って、ここまで来て欲しいのです」なるほど、それなら右が本当に低いのかどうかも確認できるだろう。「口元が気になるようなら、マスクでもして下さい。アハハハー」スプリントが大きいので、嵌めると唇が巧く閉じられない。少し険悪だった私の気分をほぐすように、主治医は冗談めかして笑った。「アハハハ、そうですね。そうします」私も思わず笑顔で答えた。笑うと不安が小さくなる。試すことはたくさんあるのだ。頑張らなければ。冬に買ったマスクがたくさん残っている。